峯丸ともかの映画&ドラマ手帳

映画レビュー&ドラマレビュー、執筆した記事などアップしていきます。

今年見た映画をレビューしていきたいのですが、全部は無理かも。とりあえず最新映画で気になったものを更新していきます。あとは、おいおいで!

父親に見捨てられたすべての子供たちへ捧ぐ 映画「パーティで女の子には話かけるには」

 お題「最近涙したこと」

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ジョン・キャメロン・ミッチェル監督の力量を感じる映画

まさかこの映画を観て泣くとは思わなかった。

 

ジョン・キャメロン・ミッチェル監督作パーティで女の子に話しかけるには How to talk to girls at parties」は、パンクな映画だ。

 

パンクと言われても、パンクに触れたことのない人は、いまいちピンとこないだろう。

私もパンクについて全く知識がなかった。

どちらかと言えば、クラシック音楽やボサノバ的な癒しの音楽が好きだ。

パンクミュージックと言われても、パッと想像しにくい。

 

ジョン・キャメロン・ミッチェル監督は、2001年の映画「ヘドウィッグ・アンド・アングリーインチ」で主演・脚本・監督をこなし、才能はすでに証明済みだが

心底、力量のある人物だと感じだ。

パンクに疎い私が観ても、この映画は、マジでおもしろかった!

 

主演は、これからハリウッドを代表する大女優になるであろう19才エル・ファニング(ザン)と、28才の新星アレックス・シャープ(エン)

2人とも、才能のキラメキがスゴイ!激カワ女優エルは、すでにあちこちの映画にひっぱりだこの人気者だが、

シャイなパンク青年を演じたアレックス・シャープも、エルに負けない存在感を感じさせた。

 

そんな才能豊かな主演の二人が、恋愛、青春、ファッション、SEX、SF、反抗、ともりだくさんの内容の映画内を全速力で走りぬけている。

 

 

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このように書くと「若い人向けの映画でしょ?」と思われてしまいそうだが、そうではない。

 

ここが監督の才覚なのか、どの要素も腹八分目に収まっていて、SFの奇抜さはあるが、意外とまとまった仕上がりになっている。

決して、若者ウケを狙ったエキセントリックな作品ではなく、一人の青年のちゃんとした成長物語になっているのだ。

40を越した大人が観ても十分に楽しめる、というかむしろ大人が観た方が、より映画を理解できるかもしれない。

 

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 パンクってなんだ?知らない人でも十分楽しめる

 

映画の舞台は、1970年代のイギリスでパンクロックが流行りだしたころ、若者たちが昔の価値感を押し付けてくる大人たちに反抗し始めた時代。

50代の人たちなら青臭い青春ど真ん中の時代だろう。

昔を思い出し、自分の中2病度合いに悶絶するもよし、懐かしさを感じもう一度あのころの気持ちを取り戻すもよし。

現在54才の監督が、実際に体験してきた70年代の空気間を十分に味わうことができる。

 

10代20代の若い世代の人たちには、パンクの本当の意味知ってほしい。奇抜な事をやればいいというものではない。

 

ジョン・キャメロン・ミッチェル監督は、パンクというのは精神のことだと言っている。

疑問を感じたら、体制相手だろうが、権力相手だろうが問いかける度胸のことだ。

ヘタクソでもなんでも、やりたいことをとにかく始めてみる第一歩の勇気のこと。

大好きなものがあるなら、反対されようが、たった一人になろうがやり続ける根性のこと。

 

そういう意味でなら、私も自分の人生にパンクを持ち込みたい。

若いころだけでなく、大人になって社会に出てからも、『はみ出し者感』を感じることはある。

たった一人で戦わなくてはいけないこともある。

そんな時にパンクの精神を思い出せば、少しは勇気が湧いてくるのではないだろうか。

 

そして、私の心に刺さったのは、主人公のエンは父親に見捨てられた子供だということ。

 親に捨てられたすべての子供たちへ捧ぐ!

 

 

親に捨てられたと感じている子どもは、たいてい捨てられたのは自分が悪い子だからだと思ってしまう。

「親がいなくなったのは自分のせいだ」というトラウマは、大人になってからも消え去ることはない。

 

このトラウマに囚われて、自分も親と同じような人生を送ってしまう人も多い。

親に捨てられたと感じている人には、ぜひこの映画を観てもらいたい。

そして、できれば、早い段階でトラウマを克服し自分の人生を歩みだして欲しい。

 

主人公エンの心の支えは、パンクだった。

エンは、父親とは違う自分の人生を歩んでいくこといなり、自分は父親とは違うと証明しようとする。

子供を見捨てるような人間にはならないと。

映画のラスト、それが証明されるシーンがあり、そこで私は涙してしまった。

 

トラウマを開放しよう!パンクの精神で!

 

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「ブレードランナー2049」について誰かと語り合いたくて仕方がない

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映画の評価 ★★★★

 

1980年代、21世紀というのは遠い未来だった。

21世紀について想像するとき、人々はみな少しのワクワク感と漠然とした不安感を

抱いたものだ。

いったい20年後の未来がどんなものになるのか、まったく想像がつかなかったからである。

 

1982年に公開された映画「ブレードランナー」は、まさにワクワク感と不安感の両方を兼ね備えた未来像を描いていた。

この映画が、SF作品の金字塔と呼ばれるゆえんはそこにある。

 

人々の想像する未来を具現化した映像がバーンと突きつけられて、

いさぎよく「これが2019年の世界です。」と披露されているようなきちんとした世界感があった。

「はぁ。なるほど、これが未来かぁ」と妙に納得までさせる世界観を構築している。

 

映画に限らず、SF作品に一番欠かせないのは、きちんとした世界感だと思う。

ブレブレの世界感では、物語に入り込めない。

 

 

 

1982年の映画「ブレードランナー」で描かれていたのは、2019年の世界。

2017年の今年、続編である「ブレードランナー2049」が公開された。

 

早速、観に行ったのだが35年の時を経ても色あせないブレードランナーの世界に

どっぶりと浸ることができた。

 

相変わらず暗い。

そして、寂しくて悲しい映画だ。

 

けれども、前作同様、『人間とは何か』という根本テーマを深く考えさせられる作品になっていた。

 

人間とレプリカント(アンドロイド)が共存する世界では、感情を持たないはずのレプリカントの方が、圧倒的に人間味がある。
暖かい心を持ち、他人を愛すことができるのだ。

 

特に、映画の冒頭ブレードランナーのK(ライアン・ゴズリング)と対峙するネクサス8型サッパー・モートンデイヴ・バウティスタ)の解任シーンは悲しすぎた。


さっそくブレードランナーのKは、ヒーローではなくなる。


主役がヒーローではないというのは、前作のDNAをきちんと引き継いでいるのだが、仕事とはいえ、超絶にいいヤツであるモートンを解任(処刑)しなければならないKの心が、一糸乱れない場面は悲しいものがあった。


レプリカントであるKもまた、いいヤツだからだ。

 

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仕事を終え家に帰るとKは、壁にあるスイッチをオンする。


すると、ホノグラムのJoiが現れ、「おかえりなさい。今日は腕を振るってお料理したのよ」なんてエプロン姿でかわいいことを言う。


Joiにデレデレして癒されるK。いいヤツじゃないか。
人間とまったく同じである。

Joiは、ホノグラムなのでホノグラムを発生する機械の中にしか生きられない。それでも、Kのことを心から愛している。


そのようにプログラミングされていると言ってしまえばそれまでだが、ホノグラムを購入したK自身もJoiに愛情を感じている。

このJoi(アナ・デ・アルマス)は、男の願望を具現化したような女性だ。


ぽってりとした唇に、ウルウルした瞳で男を見つめて「愛してるわ」と、けなげにささやく。


彼女のけなげさといったら筋金入だ。ホノグラムゆえ、Kに触ることができない。キスもハグもそれ以上もできない。


どうにかしてKに触れようとJoiのとった行動には度肝を抜かれた……
けなげすぎると言ったらそうなのだが、さすがにちょっと男の願望入りすぎてないか?と思った。
Joiにしてみれば、それだけKのことを愛しているということなのだろう。

 

このJoiちゃんマジでかわいい。

この未来の世界、男性だけズルいなと思った。私も欲しい。男版Joiちゃんが。
映画内でも、女性用の男版Joiを作ってほしかった。

 

ナイスバディの超絶イケメン(マット・ボマーあたりか?)が、「お帰りハニー。今日はいいワインを仕入れたよ。おいしいチーズも買ったから一緒に味見しよう」
なんてKの上司役のロビン・ライトを迎えていたら、完璧に2017年の現代を反映した出来栄えだったのに。

 

そんなアホなことも考えたが、映画館を出た時の気持ちは「よし!頑張って生きるぞ。レプリカントのように人間らしく!」という前向きなものだった。

 

映画のラスト、なんかまた続編があるのでは?と感じた。
ブレードランナー」の世界感に浸るのが好きなので、できればドラマ化してほしいのだが、それは贅沢すぎる願望だろうか?

 

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