峯丸ともかの映画&ドラマ手帳

映画レビュー&ドラマレビュー、執筆した記事などアップしていきます。

今年見た映画をレビューしていきたいのですが、全部は無理かも。とりあえず最新映画で気になったものを更新していきます。あとは、おいおいで!

『ブレスしあわせの呼吸』実話ベースの映画が放つメッセージをダイレクトキャッチ!

お題「最近見た映画」

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映画「ロード・オブ・ザ・リング」に登場するゴラムのモーションアクターアンディ・サーキス初監督作。

 

結婚し、子供が生まれるという人生で一番幸せともいえる時に、ポリオが発症。

28才という若さで首から下が動かず、人口呼吸器がないとブレス(息)すらできない
状態になってしまったロビン(アンドリュー・ガーフィールド)。

 

病院暮らしは、ほんとに気が滅入るもので、ましてや「一生寝たきりです」と宣告されたとあれば、死を考えてしまうのも当然というもの。

長期入院した経験のある人なら分かるこの絶望感。

人間、生きていくために、「希望」が必要なんですね。

 

妻のダイアナ(クレア・フォイ)の説得を受け、生きる選択をしたロビン。

ダイアナもこの時まだ25才。

子供を産んだばかりで、夫を支え、元気づけ、介護をしなければならない。

妻にとっても過酷な状況。

それでも、「あなたの命は、私の命」と言い切れますか?

自分も同じようにできるか問いかけてみた。

 

印象的だったのは、医者の猛反対を押し切り、自宅に戻るシーン。

呼吸器が2分外れたら死ぬ。

という過酷な状況である。

それでも、

担架で運ばれる時に見た青空がさわやかで、思わず笑顔になるロビン。

病院での生活から解放された喜びを感じた。

死ぬかもしれないけど、やってみる価値はある。

入院経験がある者として、気持ちわかります。

 

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主人公ロビンとダイアナのモデルは、映画「ブリジット・ジョーンズの日記」シリーズのプロデューサー、ジョナサン・カヴェンデイッシュ氏のご両親とのこと。

 

実話ベースで難病と闘う夫婦を描いた「ロレンツォのオイル/命の詩」(1992年)という映画がある。

「医師たちに見放されてもなんとか改善してみせる!」と全力を尽くす素人の執念を描いているのが、この2作の共通点です。

 

結果的に彼らの試みは、同じ病気を抱える人たちの希望となるものを残して、実際に役立っているのだから、「希望」を侮ってはいけないなぁと思う。

 

 

ロレンツォのオイル/命の詩 [DVD]

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 実話だからこそ、ダイレクトに飛び込んでくるメッセージを、しっかり受け止めたいと感じた。

ポリオという恐ろしい病気のこと。

ハンディキャップのある人が、社会に参加するためにはどうしたらよいか考えること。

夫婦の在り方について。

尊厳死という選択について。

 

そんなメッセージをかみしめながらも、映画のラスト、エンドロールの映像に驚いた。

実際のカヴェンデイッシュ氏の古いフィルム映像が流れてきて、

本物のロビンは、とてつもない満面の笑顔を見せていた。

 

「ただ呼吸するだけでなく、人間らしく生きたい」

 

28才で余命三か月と宣告されてから、64才で亡くなるまで、36年間。

人工呼吸器で息をしながら人間らしく生き抜いたロビンの笑顔。

キラキラに輝いていた。

 


9/7公開『ブレス しあわせの呼吸』予告編

 

2017年イギリス

アンディ・サーキス監督

 

breath-movie.jp

 

 

 

『西北西』なぜこの映画がヒットしないのか意味が分からない

お題「最近見た映画」

 

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スゴイ映画に出会った。

詩的に真摯に東京に住む女性たちの葛藤を描いている。

 

西北西……それは、東京からメッカへの方角。

 

「そこまで信じられることがあっていいよね。」


メッカに向かい祈りを捧げるナイマに対して、ケイがいう言葉に共感した。


心の底から信じられるコトがある人って、どのくらいいるのだろうか?


少なくとも20代のころ、わたしには信じられるものが何一つなかった。
自分自身のことも信じることができなかった。


あの頃の、もどかしさ、苦しさ、生きづらさが映画鑑賞中に蘇ってきた。
でも、なぜか嫌な気持ちはせず、少し懐かしかった。


『西北西』に登場する3人の女性。
ケイ(韓英恵)、ナイマ(サヘル・ローズ)、アイ(山内優花)には共通点がある。


心の中に怒りを抱えながら生きているのだ。


ケイは、ルールを強要する日本社会に対して、ナイマは、融通の利かない公共施設に対して、
そして、アイは、愛情表現をしてくれない恋人ケイに対して怒りを感じている。


怒りを抱えながら生きていくのは、ケッコウツライ。
何かと戦って生きなければならないから、精神的に消耗してしまう。
そしてそれは、ほぼ勝ち目のない戦いなんだけど……若い時はそれに気が付かない。


日本の社会って寛容なようで寛容じゃないし、寛容じゃないようで寛容なんだ。
……ややこしい、曖昧な世界です。

 

20代のころを思い返すと、わたしは、ケイでありナイマであり、アイちゃんだった。
心の中にいつも怒りを抱えていた。
3人のそれぞれの気持ちがよく分かる。


中でも、センシティブに思考しながらも、おバカ風に武装しながら生きているアイちゃんに
一番共感した。
一生懸命生きるって、ああいうことだ。


わたしは、LGBTでもないし(多分…)、身体的なハンディキャップもない。
だけど、自分はマイノリティだと思い知らされながら生きてきた。
なぜなのか分からなくて、もがいた時期もあったが、ふとこの映画の中に答えを見つけてしまった。


わたしは「まともな人」側の人間じゃないからだ。
社会の中には、「まともな人」側の人間の数が圧倒的に多い。
特に会社という組織は「まともな人」側の人材で作られている。


どうりで、自分なりの正義感で戦っても勝てないわけだ。
だって正義の定義が違うから、始めから戦う土俵が間違っていたのだ。


カフェでナイマにイチャモンつけてきた男性側にも正義がある。
どちらが正しいかといえばどちらも正しい。
善悪では判断できない。
「まともな人」側の人、それ以外の人の両方の価値観で、日本の社会はできているから。


そういった日本社会に対する、ゆるやかな反逆を感じて心地よかった。
鑑賞後には、良質の小説を読んだあとのような、独特の余韻を感じさせた。


もうひとつだけ。

時々、絵画的に美しいシーンがあって驚いた。

一番気に入ったのは、

アパートのキッチンでブルーインコとサヘル・ローズがもぐもぐとモノを食べるシーン。


あのシーンは切り取って壁に貼っておきたいほど美しかった!
もし、フェルメールが生きていたらサヘルとインコをモデルに絵を描いたに違いない。

 

邦画を観るのは、今年2作目。
期待以上に良い映画で、戸惑ってしまったほどだ。

カメラを止めるな!』があんなにヒットして、

この素晴らしい映画『西北西』が、なぜヒットしないのか?

なぜだろう。


映画『西北西』予告編


2018年日本
中村拓朗監督

seihokusei.com

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

「スリービルボード」看板・怒り・フランシス・マクドーマンド=タイマン勝負

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お題「最近見た映画」

田舎には、謎のデカイ看板があるものだ。

突然立った3つの看板が田舎町にもたらす波紋。

とても演劇的なテーマの設定の仕方に興味を惹かれ観に行った。

 

主人公のミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は、とにかく終始怒っている。

 

自分に対してなのか、警察に対してなのか、もはや本人にも分からない。

それだけ彼女が今、不幸のドン底にいるということ。

 

彼女の怒りに共感しかけていると……

 

警察官ディクソン(サム・ロックウェル)の理不尽な怒りが横入りしてくる。

怒りの交錯って、かなり圧がスゴイんじゃ。

 

さらには、怒ってるわけじゃないのに顔が怒ってるコワモテ署長ウッディ・ハレルソンの

顔圧もスゴくて、もはや怒りのミルフィーユ状態。

 

こんなにも怒りという感情が隠されている映画だとは思わなかった。

ここまで来たら、どこまで怒りを暴走させ続けられるかという実験になってしまう。

というときに起こるあの署長の決断。

顔、あんなにコワイのに、イイヤツやんけ。

 

見事としかいいようのない演出と脚本力。

さらには、怪演という言葉がぴったりの演技を見せた主演の3人の役者力に圧倒される。

 

前と悪だけで世の中かたずけられたらラクだろう。

しかし、実際の世の中には善悪だけではない、さまざまな感情が溢れている。

 

映画のラストシーン、納得と不納得の感情が押し寄せてきて心をかき乱された。

味わったことのない後味だった。

シリアスなテーマなのに、ふざけてんのか何なのか、なぜか笑える。
今までの映画にはないタイプの、どんでん返しが待ち受けている。

 

感情でぶつかってくるので、鹿の暗示とかコツコツ考えずに、感情で受けて立ったほうがよい。

たまには、タイマン勝負もしてみるものだ。

それにしても、フランシス・マクドーマンドかっこよすぎでしょ!

 

 #映画好きなら見るべき映画

第90回アカデミー賞

主演女優賞フランシス・マクドーマンド助演男優賞サム・ロックウェル受賞


 原題  (2017)

マーティン・マクドナー監督

日本公開2018年2月1日 

デヴィッド・リンチ:アートライフ

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お題「最近見た映画」

2016年アメリカ ジョン・グエン、リック・バーンズ、オリヴィア・ネールガード=ホルム監督
 
人のアトリエを見るのが好きだ。
アトリエには、アーティストの頭の中が反映されていると思う。
デヴィッド・リンチのアトリエの映像があると知り、映画を観に行った。
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リンチのアトリエは、廃工場の倉庫のような広い空間で、とてつもなく殺風景な空間だった。
打ちっ放しのコンクリ壁に錆びた鉄の机。使い古したソファーに座りごこちの悪そうな椅子。
そして、まったく音がしない。
そんな無音の殺伐とした空間で創作する骸骨のオブジェ。さらには、内臓が飛び出たり、首がぶっ飛んだ人間を
モチーフにした作品。
不思議なことにどの作品も、グロテスクなのにどこか可愛らしさがある。
映画やドラマのみならず、アート作品にもリンチならではの二面性が現れている。
 
ツイン・ピークス」を見る限り、デヴィッド・リンチという人は、さぞかし荒れた少年時代を過ごして
鬱屈とした感情を育み、異質の感覚を持つ大人になっていったに違いないと思っていた。
.
ところが、本映画で明かされる彼の少年時代は、いたって普通。
普通どころか、うらやましいほど幸せな家族に恵まれた子供時代は、古き良きアメリカの理想像そのもの。
まるでノーマン・ロックウェルのイラストのように爽やかじゃないか。
.
では一体、リンチの映画やアートに現れる光と闇の二面性とはいったいどこから湧いて出てきたのだろう?
リンチは映画の中でこんなふうに語っている。
.
「自分の中にあるものを表現しようとしたら、自分の過去でコーティングしなければならない。」
.
幸せな子供時代の中にも、闇が差し込む瞬間がある。
リンチほどの鋭い感覚の持ち主なら、光の中に差し込む一瞬の闇こそが衝撃であり、
生涯忘れえぬ程のトラウマとなるのだと思う。
幸せであればあるほど、闇は怖くなるものだ。
.
映画の中では、リンチが体験した少年時代のあるエピソードが語られている。
幸せな日常の中の一瞬の闇の衝撃。
それを目にした時、彼は明らかに闇に惹かれていた。
映画監督とかプロデューサーとかいう肩書はあっても、デヴィッド・リンチは、闇と光のはざまで作品を生み出すアーティストなんだと思う。
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この映画を観たものだけが、彼の創作意欲の根本を知ることができる。
クリエイティブなことをしたいと思っている人は、ぜひとも見るべき映画である。

5パーセントの奇跡

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お題「最近見た映画」

 ★★★2017年 ドイツ映画 マルク・ローテムント監督
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視力が5%しかないとは、どんな感じなのだろう?
と興味を持って観に行った。
レディースディのせいか平日なのに客席はほぼ満席。
みんな感動もの好きなのね。
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映画内で表現された5パーセントの視力とは、恐ろしく曇ったガラス越しに
景色や人を見ているようなもの。
ぼんやりと何かあるなとは感じるけど、誰なのか何なのかまったく分からない。
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そんな状態でホテルマンとして働こうなんて無謀すぎる。
「3番テーブルに運んで!」と言われても、目では確認できず、
「左に15歩右に5歩」という感覚でワインや飲み物を運ばなければならないのだ。
「がんばればどうにかなる!」というレベルの問題じゃない。
それをやってのけてしまう主人公のサリヤ(コスティア・ウルマン)の情熱には心を動かされた。
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しかもこの話、実話だというのだからまさにアンビリーバボー。
実物のサリヤは、15年間も視力のことを隠していたそうで、実話の方がよっぽどすごい。
スゴイ実話を映画化するのは、どうしたって映画の方が見劣りしてしまうが、
マルク・ローテムント監督の演出は、まったく退屈する部分がなかった。
さらに、主演のコスティア・ウルマンを知るきっかけになって儲けものの映画だ。
ドイツ人とインド人のハーフという異色のハンサムさん。
今後、もっとメジャー作に出て人気がでる可能性もある素敵な俳優です。
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明るく前向きな気持ちになりたい人、仕事への取組み方に悩んでいる人にはおすすめします。

 

キングスマン ゴールデン・サークル

お題「最近見た映画」

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★★★★
2018年1月5日公開 マシュー・ヴォーン監督

Manners makes the man.
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英国紳士という言葉の響きに弱い女子は多い。
さらに、スパイという謎めいた職業も興味をそそる。
老舗紳士服店の地下に、スパイ組織があるというアイデア、いいよね。
高級スーツに身を包んだ英国紳士スパイのキングスマンたち。
感じのいいハンサム顔のタロン・エガートン。ちょっとベビーフェイスっぽいところが女子の心をくすぐるよね。
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2作目の今回は、キングスマンの兄弟組織ステイツマンが登場。
アメリカのスパイ組織は、ケンタッキー州のバーボン蒸留所に秘密基地がある。
エージェントネームは、シャンパン・テキーラ・ウィスキーと単純なのが笑える。
キングスマンは、円卓の騎士の名前でとってもスパイっぽいのにね。
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というわけで今回の敵は、アメリカ人。麻薬王は女性というのもアメリカっぽい。
麻薬王ポピーのアジトは、「アメリカン・グラフィティ」に出てきそうなダイナー。
アメリカンダイナーって、どうしてこうもワクワクするんだろう。
ド派手な装飾とカラフルな照明のせいかな。

お正月にピッタリのお祭り映画でとっても楽しめた。
もう一本観たいな。第3作目希望。
次は、何メンにしますかね?

「スターウォーズ/最後のジェダイ」終焉と希望『私の』スター・ウォーズはどちらへ進むのだろう

  • お題「最近見た映画」

  •  

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    (限定パンフレット)
  • ⭐️⭐️⭐️

    公開初日に観たのだが、いろんな思いが頭の中をめぐり、まとめるのに時間がかかった。
    .
    前作「フォースの覚醒」のトラウマがまだ消え去っていない。
  • 1980年代にTVで初めて「スター・ウォーズ」を観てからのハン・ソロファンの私にとって「フォース…」は、ショックが強すぎて受け入れがたかった。
    .
    ハン・ソロをあんな目に合わせた監督のJ・J・エイブラムスのことは、今だに恨んでいる(笑)
    .
    今回サブタイトルが、「最後のジェダイ」ということで、再び嫌な予感がしたが、映画を観ても「最後のジェダイ」というのが誰のことなのか、いまいち明確にはならなかった。
  • 本でいえば上中下の中巻に当たる本作では、ようやく続三部作のテーマが浮き彫りになってきた。
    .
    みなさんも感じている通り、【世代交代】というのがテーマの根幹にあるのは間違いない。
  • ルーク、ハン・ソロ、レイア、R2-D2からレイ、カイロ・レン、ポー、BB-8 へとそれぞれポジションが引き継がれていくのだろう。
    .
    さすがはディズニー。ルーカスフィルムを買い取った時から、「スター・ウォーズ」というキラーコンテンツを永遠に続けていく計画なのだろう。永遠に続く、まさにネバーランド計画だ。
    .
    上中下の中巻ではあるが、この「最後のジェダイ」から新たな「スター・ウォーズ」シリーズの幕開けなんだと思う。前作「フォースの覚醒」は、新たな「スター・ウォーズ」への導入だったのだ。
    .
    本作でもカイロ・レンが言っていた。『古いものを全部壊して新しいものを作る。』
  • それが実現するか分からないが、カイロ・レンが作ろうとしているその世界を、私はちょっと見て見たいと思った。私がレイだったら、カイロの手を握っていいたかもしれない。
    そう思ってしまったことが、私の頭の中をごちゃごちゃにさせた.
    .
    物事は必ず終わりが来ることは知っているし、受け入れる許容力は持っている。
  • しかし、この続三部作を制作しなければハン・ソロがあんな目に合うところをこの目で見なくて済んだし、私にとっては、永遠のハン・ソロのままだった。
    .
    こんなやりきれない気持ちがあるのに、カイロ・レンが作ろうとしている全部ぶっ壊した世界も見て見たいと思ってしまう。スター・ウォーズの魔力なのか。
    .
    とにかく、2015年公開の「フォースの覚醒」からリアルタイムに観始めた若いファンの人たちのための新シリーズがスタートした。
    30年以上に渡り楽しませてもらったファンとしては、私たちが楽しませてもらってきた喜びを2015年スタートの若い人たちも味わっていけるなら、それはそれでうれしい限りだ。
    .
    それでも、できれば私もあと30年、おばあちゃんになっても「スター・ウォーズ」の新作に足を運びたいものだ。
    .
    そのためには次回作エピソード9がとても重要になってくる。
    .
    そのストーリー展開次第では、私にとっては最後の「スター・ウォーズ」になる可能性もあるのだ。キーパーソンはフィンだろう。
    .
    カイロ・レンは、レイと共にルークの後を継ぐ可能性もあるからハン・ソロのあとを継ぐのはフィンかもしれない。
    .
    次回作はフィンの活躍に注目する内容になるのではないだろうか。それとも、まさかのチューバッカの後釜?
    .
    とにかく、キャリー・フィッシャーさんが亡くなってしまい、レイアが死んでしまうことは確実なのだ……
  • エンドクレジットでキャリー・フィッシャーさんの思い出に捧ぐみたいな一文がありウルっときた。
  • 初めて「スター・ウォーズ/新たなる希望」を観た時の、レイアの両サイドアップの変な髪形の衝撃は忘れられない。
  • レイア姫を演じたことが、キャリー・フィッシャーさんの人生にとって良かったのか判断するのは難しい。脚光によるプレッシャーのためにドラッグに溺れてしまった過去は有名な話だ。
  • それでも、もはや彼女以外のレイアは考えられない。という事実は、キャリーさんに対する賞賛になるだろうか。そうだと信じたい。R.I.P
  • エピソード9でレイアの登場シーンはどうするのだろうか。J.J.エイブラムスなら最高の方法を考えてくれるだろう。

「オリエント急行殺人事件」はケネス・ブラナーの新たなる挑戦の第一歩となる作品

お題「最近見た映画」

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アガサ・クリスティの名作「オリエント急行殺人事件

 

エルキュール・ポアロは、殺人を許さない。

 

殺人という卑劣な行為を憎んでさえいる。

殺人犯が若者だろうが女性だろうが老人だろうが、また、どんな特別な理由があろうとも、絶対に殺人という罪を許すことはない。

それが、元警察官でもあるポアロの揺るぎない信念である。

この信念は、アガサ・クリスティの小説ポアロシリーズすべての作品に共通して描かれているものだ。

 

オリエント急行殺人事件」は、クリスティのポアロシリーズの中でも、名作中の名作であり、クリスティファンにも人気が高い。

なぜなら、犯人がポアロの信念にも関わってくる非常に特別な人物だからだ。

 

小説を知らない人でも、何となく内容を知っているというほど有名で、すでに何度も映像化されている作品でもあり、あえて今、映画化する意味があるのだろうか?

という疑問を、生粋のポワロファンである私は、映画を観る前から感じていた。

 

ポアロを語る上で避けて通れないデヴィッド・スーシェ版「名探偵ポワロ

名探偵ポワロ ニュー・シーズン DVD-BOX 4

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 イギリスで制作されたTVシリーズ名探偵ポワロ」は、クリスティのポアロシリーズのほぼ全作品にあたる70作品を、原作に忠実に映像化したTVドラマで、英国俳優デヴィッド・スーシェがエルキュール・ポワロを演じている。

 

スーシェが演じているポワロは完璧で、原作ファンから圧倒的に支持を得ている。

もはや彼以外のポワロは考えられないほどの完璧さである。

 

オリエント急行殺人事件」も、もちろん制作されており、デヴィッド・スーシェ演じるポワロが、自らの信念に苦悩する姿は名演中の名演であり、原作ファンが太鼓判を押す完璧な出来栄えの作品に仕上がっている。

 

 

そんな完璧版がすでに存在しているのに、あえてまた映像化する意味とは何であろうか?

それを確かめるために劇場に足を運んだ。

ケネス・ブラナーポアロは、原作のポワロとは別人と考える。

 本作のポアロ役そして監督を兼任するのは、イギリスの名優ケネス・ブラナー

サー・ブラナーが関わっているからこそ、観に行こうと思った。

彼以外の人がポアロ役だったら観にはいかなかった。

本作を観る前に、私は原作ファンである事を忘れて、スーシェ版の印象をとにかく振り払い、なるべくニュートラルな状態で映画を楽しもうとあえて心構えをして臨んだ。

 

ブラナー版ポアロは、外見からして原作とは全く違う。小男でさえない。

正直、前半部分は非常に退屈であった。オリエント急行の美しさをCG映像で十分に表現はしているが、

ポアロ作品本来の醍醐味である、謎解きをする際のポアロの存在感を体感することはできなかった。

 

クリスマスシーズンにピッタリ!とばかりに集められた豪華キャストたちも、それぞれの良さを生かし切れていない。

そんな中でも、ラチェット役のジョニー・デップだけは、役柄のおかげもあるがインパクトを残していた。

ラチェットは悪事で儲けているイヤなヤツだが、顔にゲスさを浮かべたワルの表情は絶妙だった。悪くていい顔をしている。演技であの表情を表せるのだから大したものだ。

 

前半の印象は、ジョニー・デップはやっぱりいい俳優だなとは感じたが、ほかに特段気を惹きつけるものがない。

 

シェイクスピアを知り尽くした男ケネス・ブラナーが描くクリスティの世界

 

映画を観に来たことを後悔しかけたが、ラスト15分突然映画がおもしろくなった。

ポアロが乗客全員をトンネルに集め謎解きをする場面から、ケネス・ブラナー劇場がスタート!

 

本作「オリエント急行殺人事件」では、ポアロ作品本来の魅力である謎解きの醍醐味の部分をそぎ落とし、殺人事件が起こってしまった原因そして、殺人犯の悲しみ、苦悩、後悔について描いている。

 

ブラナーが演じるポアロは、原作のポアロ像とは程遠くほぼ別人ではあるが、その信念はきちんと引きついでいる。

 

原作とは登場人物も少し違うので、クリスティのポアロ精神を引き継いだスピンオフ作品として成立している。

 

さすが、シェイクスピア劇を熟知したサー・ケネス・ブラナー

殺人の容疑者が12人という群像劇の中で、人間の心理を浮き彫りにしていく描写はものすごくドラマチック。

殺人犯の怒り、悲しみ、喪失感、残酷さなど、殺人を犯してしまう悲しい原因を浮かびあがらせ、人間ドラマを見事に描写している。

その証拠として、本作では殺人シーンで涙することになった。

殺人シーンで感動するというのも珍しいことだ。

 

そして、これは意図してやっていたのかは不明だが、本来のポアロっぽさを弱めることによって、アガサ・クリスティ原作の中に込められているエンターティメント性がより浮き彫りになっている。

 

奇しくも、クリスティ作品はポアロという稀代の語り部がいなくても、十分に楽しめるエンターティメント性があることをケネス・ブラナーによって証明されることとなった。

つまり、本作「オリエント急行殺人事件」は、デヴィッド・スーシェ版ポワロを超えようとはしていない。

違う角度からのアプローチでクリスティの世界を表現しようと挑戦した映画になっている。

 

ケネス・ブラナーが作り出したポアロという名のスタイリッシュな探偵が、オリエント急行という閉鎖された空間で、殺人事件に遭遇し殺人犯と対峙するエンターティメント作品である。

 

古典をリニューアルするというケネス・ブラナーの挑戦

 

ケネス・ブラナーポアロは、イケメンでアクションまでこなすファッショナブルな紳士で、それはそれで魅力があるし、私はあのヒゲも悪くはないと思う。

監督業をこなしながら、あの隙のなさで主人公を演じられるケネス・ブラナーという俳優の凄みを感じた。

 

小説やTVドラマ版を知らない人は、純粋に楽しめるクリスマスシーズンにピッタリの映画だし、ポアロファンにとっては、あくまでも本来のポアロとは別物と考えれば、クリスティ作品が本来持っている設定力とストーリーの面白さを再確認できる作品に仕上がっている。

 

映画を観る前に感じた「今、あえて映像化する必要があるのか?」という疑問には、

こう答えたい。

映画のラスト15分を観るために観に行って良かったと思える映画だ。

ケネス・ブラナーが、監督として俳優として更なる高みに昇ったことを感じられる映画になっているからである。

シェイクスピア劇をはじめ、古典と言われる分野に、現代の新たな息吹を吹き入れ後世に伝えていくことがケネス・ブラナーの使命だと思う。

そのための新たな挑戦の第一歩としてアガサ・クリスティの名作「オリエント急行殺人事件」という作品を選び映像化したことは、意味があったことになるだろう。

それは、きっとケネス・ブラナーの未来の作品で証明することになると予感している。

 

 

オリエント急行の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

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父親に見捨てられたすべての子供たちへ捧ぐ 映画「パーティで女の子には話かけるには」

 お題「最近涙したこと」

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ジョン・キャメロン・ミッチェル監督の力量を感じる映画

まさかこの映画を観て泣くとは思わなかった。

 

ジョン・キャメロン・ミッチェル監督作パーティで女の子に話しかけるには How to talk to girls at parties」は、パンクな映画だ。

 

パンクと言われても、パンクに触れたことのない人は、いまいちピンとこないだろう。

私もパンクについて全く知識がなかった。

どちらかと言えば、クラシック音楽やボサノバ的な癒しの音楽が好きだ。

パンクミュージックと言われても、パッと想像しにくい。

 

ジョン・キャメロン・ミッチェル監督は、2001年の映画「ヘドウィッグ・アンド・アングリーインチ」で主演・脚本・監督をこなし、才能はすでに証明済みだが

心底、力量のある人物だと感じだ。

パンクに疎い私が観ても、この映画は、マジでおもしろかった!

 

主演は、これからハリウッドを代表する大女優になるであろう19才エル・ファニング(ザン)と、28才の新星アレックス・シャープ(エン)

2人とも、才能のキラメキがスゴイ!激カワ女優エルは、すでにあちこちの映画にひっぱりだこの人気者だが、

シャイなパンク青年を演じたアレックス・シャープも、エルに負けない存在感を感じさせた。

 

そんな才能豊かな主演の二人が、恋愛、青春、ファッション、SEX、SF、反抗、ともりだくさんの内容の映画内を全速力で走りぬけている。

 

 

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このように書くと「若い人向けの映画でしょ?」と思われてしまいそうだが、そうではない。

 

ここが監督の才覚なのか、どの要素も腹八分目に収まっていて、SFの奇抜さはあるが、意外とまとまった仕上がりになっている。

決して、若者ウケを狙ったエキセントリックな作品ではなく、一人の青年のちゃんとした成長物語になっているのだ。

40を越した大人が観ても十分に楽しめる、というかむしろ大人が観た方が、より映画を理解できるかもしれない。

 

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 パンクってなんだ?知らない人でも十分楽しめる

 

映画の舞台は、1970年代のイギリスでパンクロックが流行りだしたころ、若者たちが昔の価値感を押し付けてくる大人たちに反抗し始めた時代。

50代の人たちなら青臭い青春ど真ん中の時代だろう。

昔を思い出し、自分の中2病度合いに悶絶するもよし、懐かしさを感じもう一度あのころの気持ちを取り戻すもよし。

現在54才の監督が、実際に体験してきた70年代の空気間を十分に味わうことができる。

 

10代20代の若い世代の人たちには、パンクの本当の意味知ってほしい。奇抜な事をやればいいというものではない。

 

ジョン・キャメロン・ミッチェル監督は、パンクというのは精神のことだと言っている。

疑問を感じたら、体制相手だろうが、権力相手だろうが問いかける度胸のことだ。

ヘタクソでもなんでも、やりたいことをとにかく始めてみる第一歩の勇気のこと。

大好きなものがあるなら、反対されようが、たった一人になろうがやり続ける根性のこと。

 

そういう意味でなら、私も自分の人生にパンクを持ち込みたい。

若いころだけでなく、大人になって社会に出てからも、『はみ出し者感』を感じることはある。

たった一人で戦わなくてはいけないこともある。

そんな時にパンクの精神を思い出せば、少しは勇気が湧いてくるのではないだろうか。

 

そして、私の心に刺さったのは、主人公のエンは父親に見捨てられた子供だということ。

 親に捨てられたすべての子供たちへ捧ぐ!

 

 

親に捨てられたと感じている子どもは、たいてい捨てられたのは自分が悪い子だからだと思ってしまう。

「親がいなくなったのは自分のせいだ」というトラウマは、大人になってからも消え去ることはない。

 

このトラウマに囚われて、自分も親と同じような人生を送ってしまう人も多い。

親に捨てられたと感じている人には、ぜひこの映画を観てもらいたい。

そして、できれば、早い段階でトラウマを克服し自分の人生を歩みだして欲しい。

 

主人公エンの心の支えは、パンクだった。

エンは、父親とは違う自分の人生を歩んでいくこといなり、自分は父親とは違うと証明しようとする。

子供を見捨てるような人間にはならないと。

映画のラスト、それが証明されるシーンがあり、そこで私は涙してしまった。

 

トラウマを開放しよう!パンクの精神で!

 

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「ブレードランナー2049」について誰かと語り合いたくて仕方がない

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映画の評価 ★★★★

 

1980年代、21世紀というのは遠い未来だった。

21世紀について想像するとき、人々はみな少しのワクワク感と漠然とした不安感を

抱いたものだ。

いったい20年後の未来がどんなものになるのか、まったく想像がつかなかったからである。

 

1982年に公開された映画「ブレードランナー」は、まさにワクワク感と不安感の両方を兼ね備えた未来像を描いていた。

この映画が、SF作品の金字塔と呼ばれるゆえんはそこにある。

 

人々の想像する未来を具現化した映像がバーンと突きつけられて、

いさぎよく「これが2019年の世界です。」と披露されているようなきちんとした世界感があった。

「はぁ。なるほど、これが未来かぁ」と妙に納得までさせる世界観を構築している。

 

映画に限らず、SF作品に一番欠かせないのは、きちんとした世界感だと思う。

ブレブレの世界感では、物語に入り込めない。

 

 

 

1982年の映画「ブレードランナー」で描かれていたのは、2019年の世界。

2017年の今年、続編である「ブレードランナー2049」が公開された。

 

早速、観に行ったのだが35年の時を経ても色あせないブレードランナーの世界に

どっぶりと浸ることができた。

 

相変わらず暗い。

そして、寂しくて悲しい映画だ。

 

けれども、前作同様、『人間とは何か』という根本テーマを深く考えさせられる作品になっていた。

 

人間とレプリカント(アンドロイド)が共存する世界では、感情を持たないはずのレプリカントの方が、圧倒的に人間味がある。
暖かい心を持ち、他人を愛すことができるのだ。

 

特に、映画の冒頭ブレードランナーのK(ライアン・ゴズリング)と対峙するネクサス8型サッパー・モートンデイヴ・バウティスタ)の解任シーンは悲しすぎた。


さっそくブレードランナーのKは、ヒーローではなくなる。


主役がヒーローではないというのは、前作のDNAをきちんと引き継いでいるのだが、仕事とはいえ、超絶にいいヤツであるモートンを解任(処刑)しなければならないKの心が、一糸乱れない場面は悲しいものがあった。


レプリカントであるKもまた、いいヤツだからだ。

 

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仕事を終え家に帰るとKは、壁にあるスイッチをオンする。


すると、ホノグラムのJoiが現れ、「おかえりなさい。今日は腕を振るってお料理したのよ」なんてエプロン姿でかわいいことを言う。


Joiにデレデレして癒されるK。いいヤツじゃないか。
人間とまったく同じである。

Joiは、ホノグラムなのでホノグラムを発生する機械の中にしか生きられない。それでも、Kのことを心から愛している。


そのようにプログラミングされていると言ってしまえばそれまでだが、ホノグラムを購入したK自身もJoiに愛情を感じている。

このJoi(アナ・デ・アルマス)は、男の願望を具現化したような女性だ。


ぽってりとした唇に、ウルウルした瞳で男を見つめて「愛してるわ」と、けなげにささやく。


彼女のけなげさといったら筋金入だ。ホノグラムゆえ、Kに触ることができない。キスもハグもそれ以上もできない。


どうにかしてKに触れようとJoiのとった行動には度肝を抜かれた……
けなげすぎると言ったらそうなのだが、さすがにちょっと男の願望入りすぎてないか?と思った。
Joiにしてみれば、それだけKのことを愛しているということなのだろう。

 

このJoiちゃんマジでかわいい。

この未来の世界、男性だけズルいなと思った。私も欲しい。男版Joiちゃんが。
映画内でも、女性用の男版Joiを作ってほしかった。

 

ナイスバディの超絶イケメン(マット・ボマーあたりか?)が、「お帰りハニー。今日はいいワインを仕入れたよ。おいしいチーズも買ったから一緒に味見しよう」
なんてKの上司役のロビン・ライトを迎えていたら、完璧に2017年の現代を反映した出来栄えだったのに。

 

そんなアホなことも考えたが、映画館を出た時の気持ちは「よし!頑張って生きるぞ。レプリカントのように人間らしく!」という前向きなものだった。

 

映画のラスト、なんかまた続編があるのでは?と感じた。
ブレードランナー」の世界感に浸るのが好きなので、できればドラマ化してほしいのだが、それは贅沢すぎる願望だろうか?

 

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