峯丸ともか(ブルア)の映画&ドラマ手帳

映画レビュー&ドラマレビュー、執筆した記事などアップしていきます。

今年見た映画をレビューしていきたいのですが、全部は無理かも。とりあえず最新映画で気になったものを更新していきます。あとは、おいおいで!

『西北西』なぜこの映画がヒットしないのか意味が分からない

お題「最近見た映画」

 

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スゴイ映画に出会った。

詩的に真摯に東京に住む女性たちの葛藤を描いている。

 

西北西……それは、東京からメッカへの方角。

 

「そこまで信じられることがあっていいよね。」


メッカに向かい祈りを捧げるナイマに対して、ケイがいう言葉に共感した。


心の底から信じられるコトがある人って、どのくらいいるのだろうか?


少なくとも20代のころ、わたしには信じられるものが何一つなかった。
自分自身のことも信じることができなかった。


あの頃の、もどかしさ、苦しさ、生きづらさが映画鑑賞中に蘇ってきた。
でも、なぜか嫌な気持ちはせず、少し懐かしかった。


『西北西』に登場する3人の女性。
ケイ(韓英恵)、ナイマ(サヘル・ローズ)、アイ(山内優花)には共通点がある。


心の中に怒りを抱えながら生きているのだ。


ケイは、ルールを強要する日本社会に対して、ナイマは、融通の利かない公共施設に対して、
そして、アイは、愛情表現をしてくれない恋人ケイに対して怒りを感じている。


怒りを抱えながら生きていくのは、ケッコウツライ。
何かと戦って生きなければならないから、精神的に消耗してしまう。
そしてそれは、ほぼ勝ち目のない戦いなんだけど……若い時はそれに気が付かない。


日本の社会って寛容なようで寛容じゃないし、寛容じゃないようで寛容なんだ。
……ややこしい、曖昧な世界です。

 

20代のころを思い返すと、わたしは、ケイでありナイマであり、アイちゃんだった。
心の中にいつも怒りを抱えていた。
3人のそれぞれの気持ちがよく分かる。


中でも、センシティブに思考しながらも、おバカ風に武装しながら生きているアイちゃんに
一番共感した。
一生懸命生きるって、ああいうことだ。


わたしは、LGBTでもないし(多分…)、身体的なハンディキャップもない。
だけど、自分はマイノリティだと思い知らされながら生きてきた。
なぜなのか分からなくて、もがいた時期もあったが、ふとこの映画の中に答えを見つけてしまった。


わたしは「まともな人」側の人間じゃないからだ。
社会の中には、「まともな人」側の人間の数が圧倒的に多い。
特に会社という組織は「まともな人」側の人材で作られている。


どうりで、自分なりの正義感で戦っても勝てないわけだ。
だって正義の定義が違うから、始めから戦う土俵が間違っていたのだ。


カフェでナイマにイチャモンつけてきた男性側にも正義がある。
どちらが正しいかといえばどちらも正しい。
善悪では判断できない。
「まともな人」側の人、それ以外の人の両方の価値観で、日本の社会はできているから。


そういった日本社会に対する、ゆるやかな反逆を感じて心地よかった。
鑑賞後には、良質の小説を読んだあとのような、独特の余韻を感じさせた。


もうひとつだけ。

時々、絵画的に美しいシーンがあって驚いた。

一番気に入ったのは、

アパートのキッチンでブルーインコとサヘル・ローズがもぐもぐとモノを食べるシーン。


あのシーンは切り取って壁に貼っておきたいほど美しかった!
もし、フェルメールが生きていたらサヘルとインコをモデルに絵を描いたに違いない。

 

邦画を観るのは、今年2作目。
期待以上に良い映画で、戸惑ってしまったほどだ。

カメラを止めるな!』があんなにヒットして、

この素晴らしい映画『西北西』が、なぜヒットしないのか?

なぜだろう。


映画『西北西』予告編


2018年日本
中村拓朗監督

seihokusei.com